前回、「催眠状態」は三つの意味が混在して使われているとし、その三つを以下のように表しました。
- 催眠状態1:実在・客観の催眠状態
- 催眠状態2:かけ手の主観としての催眠状態
- 催眠状態3:かかり手の主観としての催眠状態
そして催眠以前的状態論は催眠状態1を指し、それに対して信仰を持った不可知論的立場を取る。
催眠状態1に対して不可知論的立場を取るために催眠状態2は意識しない、としました。
では、かけ手は催眠状態2を意識しない方が良いのでしょうか?
私はそれにメリットがあると考えますが、催眠状態2を意識していても施術には問題ないと思います。
催眠状態2を意識した施術の手順を、前後を省略すると以下のようになります。
- 最初にかかり手を催眠状態2に誘導する。
- かかり手が催眠状態2に入ったことを確認する。
- 必要なら暗示の内容に適した深度まで深化した後に暗示を施す。(以後これを繰り返す)
普通ですね。
私も基本的な流れは上の通りです。
え?「催眠状態2を意識しないと得られるメリットは?」ですか?
催眠状態2を意識しないメリットととして、上の手順に加えて以下のことが可能になります。
- 誘導していないはずなのに現象を起こせる。
- 深化度合いを無視した現象を起こせる。
これはいつもできるわけではなく、「できる!」と思った時にできるものです。
つまり催眠状態2では無い何かだとしても、何らかの状態を判定していることになります。
この判定方法は多くをK要素に頼っており、まだ言語化できていないために説明ができません。
頭の中の、第六文明人の創ったゲージにイデの光が輝いたとか、額からまたはこめかみを貫いてニタ光が疾ったとかいった感じです。
そう考えると、上のメリットは私が催眠状態2を意識しないと言うよりも、「催眠状態」(それは何か置いておいて)の判定方法の違いに有りそうです。
催眠状態の説明に、よく「トランス状態」と言われますが、私はこの説明には違和感以外の何ものをも感じないので、ここでは催眠で言うトランス状態を以下「頭トロトロ」と呼称します。
多くのかけ手は催眠状態に成ったか否かを頭トロトロかどうかで判断しているようです。
また、催眠深度も頭トロトロ具合で判断しているようです。
しかし、状態論の立場に立ってかつ、上のメリットの存在を考慮すると、頭トロトロでは催眠状態を捉え切れていないのは明らかです。
これからは頭トロトロの呪縛を断ち切って、より広い催眠状態2の判定方法を個々に確立することが急務ではないでしょうか。
それができた暁には、状態論派でありながら非状態論派の汚名を着ることができるでしょう。